地方に向かうバスのなか、二車線の狭い道路を対向車と擦れ違う度に恐怖心から思わず「うっ」と呻き声が上がる。このバスは少しでも接触すれば、数百メートル下に落下してしまう。慣れない当初は常にこの恐怖心との戦い、余りに体に良くないため、瞼を閉じることにし、視界を一度、暗闇にさせる。光が入ったときに何事も起こっていなければ、僕は生きている証拠。そして、10数時間のバスを終え、夜半に着いた場所はカトマンズから数百キロ離れた丘陵地帯、村を灯すものは極々僅か。ちょうどニューヨークに住む友人と連絡していたところ、送られてきたのは友人の勤務地、マンハッタン五番街近くのグランドセントラル駅高層ビル一室からの朝の景色。技術革新によって知ることの出来る両者の数奇な境遇が実に滑稽であった。
ブッダ生誕の地ルンビニにて、スマホ片手に念仏を唱えるアジア人観光客
僕が初めて原著で読んだ本にNY Timesの名コラムニスであるトーマス・フリードマン執筆の「レクサスとオリーブの木」があります。筆者は、愛知県豊田市にあるほぼ無人化されたレクサスの製造工場を「技術革新」の一面であると驚嘆を持って受け入れる一方、世界では未だに家と家の間に生えた一本のオリーブの木の所有権を巡って争いが起きている「土着の文化」が存在し、この相反する「レクサス」と「オリーブの木」という二つの文化は反発しつつも、長い歳月をかけて融合していくであろうというのが筆者の提言でした。
インド国境沿い、南部タライで出会ったヒンズー教司祭
以来、僕はこの「レクサス」と「オリーブの木」が融合する第三の世界を探し求めるという長い旅が始まります。2007年に短期駐在を要するネパールのプロジェクトに自ら手を挙げたのもこの旅の一環。中印に挟まれた内陸国であるネパールでも、空は青く一つに繋がっている。「インターネットで空を繋げてくれないか?」、クライアントのボスから告げられた僕の駐在時での役割。当時、専門的知見を有していた分野ということもあり、大学機関を中心に、同国で初めて正式にFacebookやSkype等のコミュニケーション・ツールを一斉導入、僕を常に好奇心の目で見る若いネパール人に多少の知恵を与えることが出来たと思う。導入したサービスはネパールで瞬く間に普及をし、10年間変わらぬ礎を作ってくれ、僅かばかりの自信と安心を今でも僕に与えてくれます。
中国チベット国境沿いで出会ったシェルパ族と思しきチベット系山岳民族
一方で、大きくそして速く変化するネパールの未来は必ずしも明るいとは言えません。2015年に起きたインドによる経済封鎖が終了後、中国の「一帯一路」の台頭に対抗する形で中印投資が一気に加速するなか、貿易赤字が拡大、債務が大幅に膨れ上がっています。
目元や額に幸運を祈る特殊なメイクを施す赤ちゃん
2018年8月22日付けの現地紙「カトマンズ・ポスト」の記事"Trade deficit soared to Rs1.16t in last fiscal"によると、ネパールの貿易赤字が前年度比26.7%増、製造業では輸出額11.1%増の810億ルピーに対し、輸入額25.5%増の1兆2420億ルピー。輸出GDPは0.1%減の2.7%に対し、輸入GDPは3.6%増の41.3%。輸入元国はインドが全体の65.2%を占め、インドに大きく依存する実体経済は変化することなく、貿易赤字縮小のために、政府が輸出強化指定する主要品目9つもカルダモンや紅茶等、一部の品目に限り、輸出額が増えているものの、製糸繊維やパシュミナ等の品目は振るわず、政府は未だ有効な政策を打ち出すことが出来ていません。ネパールが最も輸出競争力を持っているのは引き続き300万人を超える国民が世界に散らばる「労働力」である。
僕の大切な話し相手のホテルのメイド。左側の彼女はボン教、ヒンズー教の要素の混じったチベット仏教を信仰するタマン族
また、外国人にとっては多民族国家の「カースト制度」理解は大きな困難を伴うでしょう。言語学では北からチベット・ビルマ語派が南からインド・アーリア語派の影響を受けるネパールでは123言語の存在が確認がされ、それぞれが固有の文化を形成しています。
ポカラ近郊丘陵地帯、グルカ兵の由来として知られるゴルカ郡にて
インド同様カースト制度があるものの、人口僅か3,000万人にも満たない同国ではヒンズー教での身分制度「カースト」は民族単位を現す「カースト」と表現されることが多く、また、宗教単位ではヒンズー教のなかに仏教が、仏教のなかにヒンズー教が文化混合し、カーストがその掛け算となる。一つの事実に対して無数の考えがあるというのは知る必要があるでしょう。それはまさに多面鏡となり、幾何学模様に反射する事実は価値基準を曖昧にし、多くの外国人の判断を苦しめさせ、中印以外の国からの外国直接投資FDIの流入が進まない一つの要因となります。
カトマンズの定住民族「ネワール族」の結婚式にて踊り続ける女性たち
そのようななか、記を通じて、1つだけ強く主張したいことがあります。ネパールは東西南北、それぞれ文化が異なり、北は中国の、南はインドの影響を大きく受けるなかで、中国でもインドでもない第三極のアジア系外国人の需要が確実にあるということ。僕が自由に産地に赴くことが出来るのはこの特権を活用しているだけに過ぎず、中国人もインド人にも出来ないこの役割は日本人がこの地で活躍する十分な文化的下地となります。また、裏切りや欺きの連続となる異民族コミュニケーションの間に入れるのも特権でしょう。そのなかで同国特有の家父長制度が根付く歴史的背景下、「リーダーシップ」を示す者に対してのみ、同調者が後に続いてくれるというのも実感し始めています。
カトマンズ郊外焚き火をしながら会話をしたネワール族の少年、同族は仏教徒でありながらも、ヒンズー教由来の身分制度を持つ
この10年間、ネパールの首都カトマンズの景色に大きな変化が見られなかったものの、水力発電所の建設が進み、国内では約2年間、計画停電が実施されておらず、電力状況は圧倒的に改善されています。一方、地方に赴けば、清浄な空気に全くと言って良いほど手が加えられていない産地と豊かな水は周囲にある山々に射影され、他の何よりも美しく。そのなかで素材の良さを引き出し、新たな価値基準や最先端の知恵を与えるのが僕の役割である。10年前と同じように、ネパール人に寄り添い、日本で培った全てを現場に落とし込み。緩衝国家に過ぎなかったネパールは今や地政学的観点から、人口30億人マーケットの中心地へと変貌。日本では到底味わうことのダイナミズムのなかで勝負に挑める醍醐味は言葉に置き換えることの出来ない興奮を与えてくれます。
南部タライの産地にて
もちろん全てを肯定することは困難と言えるでしょう。熾烈な競争、中印の存在、第三国である難しさ、充分ではない事業環境、不確定要素の高い将来、宗教文化面、アイデンティティの確保等。特に、日本人としてどうあるべきかについては強烈に苛まされます。しかし、悩む暇を与えれくれないほど、この国は成長し、模範解答なく、世界の在り方は時代とともに変化し続けます。それに合わせて自分を成長させ、変化に耐え得る人間になることが生き抜くための前提条件且つ第一条件になるのでは、と。だからこそ、「レクサス」も「オリーブの木」をも掴む世界に身を置くことは僕の人間的欲求を満たしてくれ、このネパールという地を全力で駆け抜けて行きたいと思います。
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