ネパール記(3)インド国境沿い、南部タライを駆け抜けて

 国土面積は北海道の約2倍、ちょうどその中心に位置するカトマンズからは東西南北に向かうバスが発着しており、市民にとって唯一無二の移動手段。外国人観光客が多い地域、例えばアンナプルナ連峰が見渡せるネパール第二の都市ポカラや、仏陀生誕の地である南部ルンビニ、またゾウやサイがいる国立公園、チトワン等へは「ツーリストバス」と呼ばれる大型バスが運行しているものの、長距離バスは「マイクロバス」と呼ばれるハイエース等の商用車が高低差が激しく狭い未舗装の道路で大活躍。


f:id:masaomik:20181217190208j:image

 南部タライを通って西に400キロ向かうバスの予約は最短で到着するよう産地が行ってくれ、問題はその乗り場。長距離マイクロバスの乗車については、どうやらネパール人にとっても時より困難が伴うようで、外国人にとっては至難の業。今回、渡された情報はドライバーの電話番号とチケットカウンターがある場所のみ。定宿から徒歩20分、待ち合わせは朝5時半、日の出前となり、周囲は寒さに耐えかねて焚き火をしている人がチラホラ。指定された場所に着いたものの、チケットカウンターの場所が分からない。携帯に電話をし、ドライバーと話すも細かい場所を伝えてくるためチンプンカンプン。常套手段は道行く人に「ダイ(お兄さんという意味)」と声を掛け、無理やりスマホを渡し、ネパール人同士で話をさせること。どうやらダイは「オレに付いて来い」と言う。経験則で、この状況で嘘を付くネパール人はいないということは知っている。


f:id:masaomik:20181217190241j:image

 チケットカウンターを発見。指定された場所から入り組んだ道を徒歩で5分、市内にある主要バスターミナルとは違い、特に暗闇では見つけるのが難しい。とにかく無事バスチケットを購入(代金900円)。実はここが乗り場ではないことは知っていて、電話番号を知っているドライバーとここで落ち合い、今度はドライバーのお連れらしき人物の二輪の後ろに乗って15分ほど移動する。まさに乗車前からアドベンチャーカトマンズ市内は「リングロード」と呼ばれる全長25キロ強の環状道路が走っており、二輪が着いた先は南部タライを西に向かうハイウェイが出ているリングロード沿い。朝6時、まだ日の出前のなか、当地には無数のバスが停車しており、チケットカウンターで会ったバスドライバーと合流、バスを待つ。今回の遠征をサポートしてくれる大事な仲間に乗れてまずは一安心。


f:id:masaomik:20181217190442j:image

 「飛行機は使わないのか?」と良く日本で聞かれるが、答えは「使わない」。エベレスト・トレッキングやアンナプルナ連峰に向かう国内線は就航しており、トレッキング客を中心に利用が進んでいるものの、遠征先はド田舎。飛行機の定時就航率も低く、また、途中まで空を経由し向かっても、最終目的地までは地方空港からバスに乗る以外の手段がなく、その割には値段が桁違いに高い。バスでは1,000円未満で行ける地も飛行機であれば片道1万5,000〜2万円かかり、それでも飛行機が予定調和の遅延をしたら到着時刻はほぼ同じ。カトマンズから確実に産地に向かうためにはバスが最も効率的である。今回は約12時間、南部タライは平地であり穀倉地帯。風景は至って平凡、「12時間ってニューヨークに行けますよ」。大学時代の友人に言われた痛烈な言葉。正しい。

f:id:masaomik:20181217190821j:image

 ネパールのGDPのうち25%が一次産業。主要産品はコメ、小麦等の穀物や家庭料理に欠かせないマメ類やジャガイモ等、また、歴史的背景から、例えばネパール東部イラムは紅茶の一大産地。「ダージリンティー」で有名なインド西ベンガル州ダージリン地方は嘗てネパール王国の領土であり、セイロンのウバ、中国のキーマンと並び世界三大銘茶のうちの1つ。今現在、ネパール東部イラムで生産された紅茶の大半は嘗ての同胞が多く住むダージリン地方に出荷し、「ダージリンティー」にブレンド。一方、近年、イラム・ティーへの注目が集まり、政府は「ネパール・ティー」として輸出強化品目に指定。


f:id:masaomik:20181217193921j:image

 ネパール東部イラムはまさにインド西ベンガル州ダージリン地方に隣接しており、カトマンズからは距離にして約450キロ。ダージリン地方の北部が1975年にインドに併合されたシッキム州、以東はインド北東州6つがあり(マニプル、アッサム、ミゾラム、メーガーラヤ、ナガランド、アルナーチャル・プラデーシュ)、インド国有鉄道は首都デリーや商業都市ムンバイ、その他、チェンナイやバンガロール等、国内主要都市との2年以内の鉄道接続を計画しており、路線拡大を念頭に入れ、インド・ネパールを結ぶ鉄道車両のレール間隔は従来の狭軌から広軌に交換が終了。注目されるべきは中国の「一帯一路」構想だけではない。


f:id:masaomik:20181217194033j:image
 道路整備の状況やハイウェイの確認のため、移動データはGPSで毎回取得し、記憶に頼らない管理を実施、そして産地からカトマンズに物流を組む際に活かす。当然、未舗装であれば速度は落ち、道路封鎖時の迂回路を探し出すためにも地図を含んだデータ管理は必要不可欠。上記データはネパール東部イラムに行ったときのもの、山岳地、丘陵地、タライ平原と3つの層からなる同国は丘陵地間での横の移動手段が乏しく、整備されたハイウェイが通る南部タライに一度出て、東西の移動を行い、最後に一気に丘陵地に駆け上がることが多い。最高2,000メートル近くから最低標高はタライの50メートル。寒暖差は20度近くとなり、車内での着替えが必要。


f:id:masaomik:20181217190925j:image

 南部タライでは亜熱帯作物も多く生産され、ライチやバナナ、オレンジ、サトウキビ等、丘陵地帯ではコーヒー豆やショウガ、香辛料のカルダモンやウコン、胡椒等の生産も盛んだが、カトマンズ市内を中心に見かける多くの果物は主にインドからの輸入。輸入品占有率は約8割。バナナ、パイナップル、マンゴー、グアバ、オレンジ、ブドウ、スイカ等、また、リンゴは主に中国から輸入、ショウガは中国、インドに次ぐ世界第三の生産量であるものの、約6割をインドに輸出。加えて、二国間の貿易摩擦品目とされ、インドによる緊急輸入停止措置により、収穫期において国境付近で貨物輸送車が数週間、停留することも珍しくなく、ネパール産ショウガの市況は悪化、3年でキロ単価190ルピーから25ルピーまで下落している。


f:id:masaomik:20181217190955j:image

 南部タライでは養蜂が盛んな地域もあり、カトマンズ市内にあるショップでは多くの蜂蜜が売られている。個人的な好みはサブ・ヒマラヤを原産とする花から採れた蜂蜜。パキスタンやインド北部等、一部の地域で生え、濃厚な食感と優しい香りが僕を惹き付ける。


f:id:masaomik:20181217191130j:image

 また、「マウンテン・ハニー」と呼ばれる断崖絶壁の崖にある巣から採れる蜂蜜はキロ単価3,000〜4,000円近くで売られており、通常価格の6〜8倍。覚醒作用がある自然成分が含まれているとされ、その希少性から産地訪問のツアーが組まれるほど。「マウンテン・ハニー」が採取される地域に近いポカラの蜂蜜ショップ屋に以前、ツアーを誘われた際に値段を確認。確か、2週間で2,500ドル。ヒマラヤ・トレッキングとマウンテン・ハニーの組み合わせツアー。金より高いグラム単価100ドルで取引されるコウモリ蛾の幼虫に寄生するキノコの一種「冬虫夏草」も付いているぜ、と。

 
f:id:masaomik:20181217192117j:image

 冬虫夏草の主な国内産地は中西部カルナリ県ドルパ群及びムグ群。収穫期は5月であり、こちらは南部タライではなく、中国チベット自治区との国境沿い、標高3,000メートル以上の高地。中国で乱獲されたため、ネパールやブータン等の産地に業者が触手。利権の固まり、所謂「マフィア産品」。採取を巡って殺人事件も度々起き、関わると碌なことが起きないため、僕は常に無関心を装う。


f:id:masaomik:20181217191420j:image

  今回訪問した産地はとある品目の収穫期。日本から泡盛を持参し、産地とカレーを食べながら乾杯。双方ともに実りある一年となりますように。


f:id:masaomik:20181217222523j:image

 最後に。2017年8月にネパール南部タライを襲った集中豪雨により、河川の洪水と土砂崩れに直面し、被災者となりました。本集中豪雨はインドとバングラデシュ合わせて、死者数1,200名以上。雨季のタライは自然災害が発生しやすく、渡航の際はくれぐれもご注意願います。


f:id:masaomik:20181217220041j:image

 道路を覆う水量で孤立状態となり、この見えない道をジープで突っ切る


f:id:masaomik:20181217220107j:image

 幾重にも広がる土砂災害。この先、約5キロを徒歩で越える


f:id:masaomik:20181217220202j:image
 命がけで付き添ってくれた産地側の足元はビーサン、さすがとしか言いようがない


f:id:masaomik:20181217220235j:image
 記念の一枚。僕は下から迎えに来た車に乗り、彼らは同じ道を徒歩で帰る。絆が強まったのは言うまでもない。本当に有難う

 

--

ネパール記目次

note.masaomi.jp

note.masaomi.jp